頼貞が創建し、父光定の33回忌を行ったとされる定林寺跡。大富館の鬼門に位置し、東西南北800mに亘る大伽藍だったが、今はひっそりと観音堂が立つ。
平安時代この一帯は高田郷と称し、皇室直轄の高田勅使田がおかれた。 927年の美濃国神名帳に記される従5位下高田明神があったといわれる。地頭職にあった頼貞は一族の氏神として厚く信仰したという。
室町初代守護「土岐頼貞」が拠点とした大富館跡 300m四方が館跡、伍所という地名が残る。 7代前の国房や5代前の光信の時代からという説もあり、「美濃国土岐源氏発祥の地」の碑が立つ
鎌倉初期、土岐光衡は、瑞浪の一日市場館を拠点とし「土岐氏」を称したが、その子光行は、承久の変の後浅野館に移り、浅野氏や肥田氏などの支流を生んでいく。 現在、多度神社が祀られている。
2021.04.16
2021.04.15
2021.04.14
2021.04.06
2021.03.15
2021.03.08
2021.03.04
2021.02.19
2019.11.29
2019.11.07
2019.10.17